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甲府市の舞鶴城公園の桜が見頃!石垣を囲む160本の桜並木

2018年4月3日

甲府市の舞鶴城公園の桜が見頃!石垣を囲む160本の桜並木

 
4月に入り、暖かくなってきましたね。
 
長野県は桜の開花は遅めですが、山梨県では桜が見頃を迎えています。
今回は甲府市にある「舞鶴城公園」とその桜をご紹介していきます。
 

舞鶴城公園(甲府城跡)の約160本の桜

 
 
甲府城跡の石垣を囲む桜を眺めながら、敷地内をのんびりと散歩できるスポットです。
見頃は3月下旬頃からとなります。
位置にもよりますが、遠くには富士山を見ることもできます。
 
撮影日は天気も良く、とても多くの方が訪れていました。
 

舞鶴城公園(甲府城跡)の歴史

 
舞鶴城は甲府城の別名(雅名)です。
 
甲府城は、古くは「甲斐府中城」「一条小山城」「赤甲城」などと呼ばれていました。
天正10年(1582)、甲斐国は戦国大名武田市の滅亡後、織田信長の領国となりましたが、
本能寺の変後は徳川家康の支配下に置かれます。
その後、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げますが、
秀吉は甲府城を家康に対抗するための重要な拠点とするため、
甲斐国に甥の羽柴秀勝、腹心の部下である加藤光泰、
浅野長政・幸長父子を順に配置して築城を命じ、浅野氏の頃(慶長年間)に完成しました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、江戸時代には再び徳川の城となり、将軍の子弟が城主となりました。
その後は西側への備えとしての重要な拠点となったようです。
江戸時代に御殿の新築や石垣の改修、城下町の再整備などが行われ、甲斐国は大いに発展したとのことです。
しかし、明治時代に入ると甲府城は廃城となります。
明治10年前後には建物は全て取り壊され、次第に市街化されていきました。
現在は本丸を中心とした内城の一部が城跡として残り、県指定史跡甲府城跡(舞鶴城公園)として保護されています。
公園の一角には「富士の国やまなし情報コーナー」があり、山梨の観光地紹介や、
過去使われていたものなどの資料の展示がされています。入場は無料です。
※「舞鶴城公園 県指定史跡 甲府城跡」パンフレット参考
「舞鶴城」の由来
 舞鶴城は城の雅称のひとつで、甲府城以外にも「舞鶴城」と呼ばれる城が
全国に最低でも15城あるようです。(Wikipediaより)
いずれにしても、良い名前ですよね。
甲府城に関しては、パンフレットに由来があったので引用させていただきます。
”舞鶴城”の由来
現在、舞鶴城公園として親しまれている甲府城跡。
舞鶴城という名称はいつのころからか白壁が重なり合う優雅な姿から、鶴が舞う雄大な姿を連想してつけられたものと考えられます。
現在は約6ヘクタールが都市公園となっていますが、かつては20ヘクタールほどの広大な城跡でした。
※「舞鶴城公園 県指定史跡 甲府城跡」パンフレットより引用

周辺の市街や山脈を見渡せる天守台

現在は昔ほどの規模ではないようですが、
城跡として、残っているものがあるだけでも
当時の雰囲気を感じます。
周りの風景を見渡せる天守台からは、
山梨の市街地や山脈が一望できます。
天守台の写真です。
天守台から見下ろしたらこんな感じ。
晴天の下、非常に遠くまで見渡せて、とても良い景観でした。

舞鶴城公園の駐車場について

駐車場は近隣にありましたが、
入り口が入れないようになっていたので、現在は使われていないのかもしれません。
(近くで工事をしていたので、一時的なものかもしれませんが。。)
近隣のコインパーキングに停めたほうが確実です。
甲府駅が近いこともあり、コインパーキングの数は豊富です。
舞鶴城公園の外にも桜の木は多く、
アスファルトの上に花びらが舞ってとても綺麗でした。

まとめ

舞鶴城公園の桜は、週末頃はまだ見頃だと思われます。
「信玄公祭り」も開催されるので、週末はとても賑わいそうですね。
お近くの方は、お時間あれば是非寄ってみてください♪
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