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毒親との心の割り切り方!

2021年4月28日

毒親との心の割り切り方

わたしの20歳前後の頃の試練って毒親からの独立だったわけですが、
今日はそのことについて話してみます。

いまでは毒親という言葉も珍しくなくなりましたが、
親である以上、嫌いになりきれない、やっぱり自分が悪いんじゃないか、
そう思って自分を責めている方がいれば、
少しでも参考になればと思い、この文章を書いていきたいと思います。

 

会話の少ない家庭

実家は、もともとほとんど会話がないと言っていいくらいの家庭でした。
いや、正確には父親以外とは会話はあったのですが…
父親と腹を割って話すということがほぼなかったですね。
一方的にこちらが話を聞く機会はあったにせよ。

話の量で比較するなら、20年以上同居した父親よりも、知り合って1ヶ月程度の友達のほうが会話してるんじゃないかというレベル…でしょうかね。

とゆーのは、こちらがなんか自己主張をすると基本潰されていたような印象で。
実際はわかりません。何度か潰されて、萎縮してしまったのかもしれません。
結構、記憶にないくらいの早い段階で、わたしは自己主張をしなくなりました。

親を信じたい気持ち

それでも、確認したい気持ちはずっとありました。

本当に親なのに本気で話してもわかってもらえない存在なのか。
わかりあえないものなのか。

確認したくて、一度、話をしてみようと試みたことはあります。
いつだったかは記憶にありません。
高校を出ていたのは確か。
そのときに、もうこの人は無理なんだなという手応えを感じてしまいました。

感覚としては、もう言語が通じないんだな、というくらいのショックです。
おそらく、見ている世界も価値観も何もかもが違いすぎるのかもしれませんが、
見事なまでに会話が噛み合いませんでした。

20年以上に渡る確執はもう簡単にとけるものではありません。

もう帰らないと決めるまで

わたしはもう、そのまま諦めとともに家を出ました。

家を出てから2回ほどはそれでも一応正月に実家に帰るということをしていたのです。
付き合っている恋人が実家に帰ってしまうので、そのタイミングだけ。

ただ、2年めの正月に、とても体調が悪く
あとからインフルエンザに掛かっていたことが判明したのですが、
まず体調不良を信じない父親。
こちらの話を全く聞かない、そしてこちらを責める一辺倒の一方的な長話により
体調はより悪化・・
あまりの一方的かつ自分のことしか考えていない態度に、あたしももう、限界でした。
何もせず、その状況に耐えていることに。

子供の頃は恐怖でしかなかったのに、
今は私の中に、反撃するという選択肢が生まれてしまっている。
それだけ成長したということなのかもしれません。
でも、お互いにとって危ないことだと感じ、
結局、お互いのためにもう会わないほうが良いのでは…とこの年、思い、
それ以来、実家には帰っておりません。

用事があって近くに寄ったとしても、家の前を素通りするだけ。

帰ったところで、私のスペースももうないしね。

割り切れるのか?

わたしの場合、何年にも渡って、こうやったら良くなるのではと
わたしなりに試行錯誤はしてきました。
ただ、何をやってもだめで、
インフルエンザのときがわたしにとってはトドメになったというか。

少なくとも今の親は私のことは見てくれないんだな、と思いました。

まともに見ていたときがあったかは私にはわかりません…
よくて、小学校くらいまでかなと思います。

わたしの場合、子供の頃とかならもう少しまともな記憶もあるんです。
そうはいっても、虐待も少なからずありましたが…
ただ、年月を経ることでお互いに変わってしまったと言うか
「もう優しかった頃の親はいない」…と、考えるのが、合理的だと思いました。

当然、たくさん苦労したこともあったと思います。
私にわからないところで、苦労をした結果、変わってしまったのかもしれません。

ただ、あたしが外に出て苦労して尚更思うのは、
親ってすごかったんだな、と思うよりもですね…

霧月
霧月
(なぜ苦労するのに産んだ!?)

…と、どうしてもそっちに走ってしまいますね。正直…

すごいとかよりも、環境が整っていなくて余裕がないのに産むべきだったのか、みたいな。
今、この文章の中では割愛しますが、わたしが当時の(私が生まれた頃の)両親の状態だったら、出産はできないと思います。ただ、当時の時代の流れの中でだったら、またちがう判断になるのかもしれませんが…

まとめ・割り切り方

この文章の趣旨はわたしの場合の割り切り方です。
こういう考え方もあるんだな程度に思っていただければと思います。

どんな親であっても親は親、と思えているうちは、ある程度までは信じたい気持ちのほうが強いかもしれません。

でも、たとえ記憶の中に優しい両親がいたとしても、
今現在の同じ時間の中に、優しかった彼らはもういないのかもしれません。

やれることをすべてやって、通じないと思ってしまったので、
あたしはそう思って割り切りました・・・

自分の人生にとって重荷になるくらいなら、割り切って先に進んだほうが良いです。
時間は有限なので…

とてもむずかしいことかもしれません。でも、親に縛られず、自分の力で幸せになっていきたいし、幸せを掴んでいける人が増えたら私もとても嬉しいです。

親についてはまた書くと思います。
今日は取り急ぎ、何かの参考になれば幸いです。

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