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「子供を産むのはかわいそう」なのか?20代女の私が考えてみた

2021年6月6日

「子供を産むのはかわいそう」なのか?20代女の私が考えてみた

厳密に考えると「反出生主義」についての議論になってしまいますが、
もっと個人的なレベルで、自分が子供を作るか否かの話です。

考える目的

そもそもこれは非常に個人的な主観ですよね。
目的は、個人の人生で自分の子供を作るかどうかの方向性を出すこと、です。
結果的に少子化になるとか、社会がどうなるかは、個人個人の判断の結果であり、一人の判断で変わることではないのでここでは考慮しないことにします。

今の出産適齢期の世代がどういう環境で生きてきたか

判断は、その人がどういう環境で生きてきたかに大きく左右されるのではないでしょうか。
シンプルに言えば、自分が生まれてきて、自分の人生をここまで生きてきたことについてどう思うか、ということが、子供をどうするかという判断に反映されると思います。

育った環境があまり良いとは言えない場合

私の場合ですが、毒親家庭で育ったので、自分が産まれてこないほうがよかったと思うことも数え切れないほどありました。
産まれてしまったのももう二十数年前のことで、もう今更怒る気持ちもないのですが、
産まれなくてよかったのならそれに勝るものもないのではないか…とも思います。

今現在、好きな人はいるし幸せと言えば幸せですが、それを上回るだけの苦労もたくさんありました。
若いうちの苦労は買えと言いますが、それにも限度がありますよね。
その瞬間瞬間が幸せかどうか、というのは、その時その時で変わるものですが、
いま幸せだからといって「産まれてきてよかった」にはどうしても結びつかない、というのが今現在の結論ですね。

生きることに関しての苦労

現代は特にそうですが、苦労することが大事なのではない、ですよね。
理不尽な苦労、自分を壊すような苦労はないに越したことはありません。
将来苦労しないようにしていけるルートを探すのが大事なのであって、その過程に苦労は必須ではないと思います。

たとえば合わないことがはっきりしたことは、いつまでも同じことを繰り返さずにさっさと切るべきですよね。合わない仕事、合わない人間関係…理由なく、ただ苦しい中を惰性で続けているのであれば、時間がもったいないです。
苦労も限度を上回ってしまえば、絶望しか感じられなくなったりもします。

自分の結論と他人の結論は同じように尊重するべき

私は生まれる前まで戻って自分の意志でやり直せるのなら、もう生まれてこないだろうなと思っているため、少なくとも現段階では産めないなと思っています。
親と同じことを繰り返さなければ良い、という考えもありますが、そもそもそこまでして今の世の中に敢えて命を生み出したいと思えません。
これは何が正しいとかではなく、本当に個人的な感覚ですね…。
恋人との子供を見てみたいとは思ったことはありますが、見てみたいというだけで産むのはリスクがあまりにも高く感じます。

ただ、自分の選択と他人の選択は別と考えるべきであり、自分の考えが他人にとっても絶対正解ということはありません。
産むにしても産まないにしても、人に押し付けず、それぞれの選択を尊重していきたいですね。

私より多少両親のあたりも緩かった妹は、それでも出産を選択肢として考えられているようだし、別にそれは妹の意思として尊重すれば良い話だと思います。
(親には会わせないらしいですが)

子供をつくる場合、毒家庭にならないために考えたいこと

産むのであれば沢山のリスクを一度考えてみるべきだと思います。

たとえば、産まれてくる子は自分の所有物ではないということ。
ひとりの人間として尊厳を持って扱う意識。
そしてバックアップ体制。
パートナーに相談できず実質ひとりだけの子育て、または不健全な関係性の夫婦(DVが発生しているなど)だけで子育てをすることになると、偏った子育てが発生しやすくなります。
人間、自分の考えが間違っていたり偏ることもあるかもしれないですよね。
リスクヘッジとして、そういうときに、指摘してくれるような複数の視点があるかどうか。
そして自分も子どもと一緒に成長する意識があるかどうか。

子どもが将来どんな選択をしても、自分の思い通りではない進路を選んでも受け入れられるかどうか。

出産や育児、その後の生活は一人でするものではないです。
夫婦でするものでもないです。
少なくとも家族全員で生活は作っていくものであり
そこに子供を置いてけぼりにしてはいけないですよね。

 

私の場合は子供の頃からほとんど親(主に父親)と会話をした覚えがありませんが
なにか決めるときは全て勝手に決められ、
子どもたちの意思はそこに介在しないような、そんな家庭でした。

というか、人として見られていたのかな。人だと思われていたのかな…?

両親ともに子供の話はきいてくれないような状況だったので、
大人になるにつれて次第に親の好みそうな、世間体的に良さそうな話しかできなくなり、
最近は近況報告すらしなくなりました。

黙って結婚とかあるかもしれないね。そんなことができるのか、調べてもはっきりしませんでしたが…。

つーか親自身が親を大事にしてないので、あたしたち子どもがどうしようと勝手だよね。

どういう判断になっても、自分や他人を批判しないことが大事

要は育ってきた環境によってだいぶ意見は分かれると思います。
子供を産むことに対して積極的になれるかどうか。
なので、人の判断に対して批判とかしないっていうのはすごく大事なことですよね。

おそらく、この記事のタイトルで読んでくれている方は子供を産むのはかわいそうだと思っている人が多いと思うのですが、
それは、そう思わざるを得ないだけの理由があるのではないでしょうか。
だったらその自分の気持ちを無視しないで、周りからの圧力で産んだりはしないほうがよいのではないかなと思います。

いろいろな社会的な大義名分を考えてみても、冷静に考えてそもそも一人の意思決定だけで大きく変わるわけではないし、それでもし子供が減っていくのならそれはそれで社会全体の集合意識の意思なんじゃないかなと思いますね。

子育てをする余裕がないくらいに、社会的に疲れているとか、生き苦しいとか。

たとえば、今生きている人がなんとか耐えて生きて、子供に同じ思いをさせたくないからという理由で「産まない」っていうのもひとつの社会への還元方法ですよね。Noを突きつけているという結果ではありますが。

結論

「子どもを産むのはかわいそうなのか?」については、現代では、少なくとも、成人するまで適切な環境を整えられない状態で産んだらかわいそうになってしまうのかな…と思います。

例えば、衣食住、適切な愛情と環境。親の、人を育てるという覚悟。
更に、自分が子供の頃と今の子供とは時代も違います。そこに適応していけるかというのも大事ですね。

これを用意するのは簡単なことではないし、恋人のことを愛していたら絶対に大丈夫とかそんな生易しいことでもないと思います。

そして、産まれてから、子ども自身が生まれたことをどう感じても受け入れるという意識は持っておいてもいいかと思いますね…。

この記事で「どちらのほうが絶対に良い」という結論は出せません。

でも、やっぱりちょっと、今の日本は生きづらく、それも少子化傾向の要因になっているんじゃないかなとは個人的には思います。

この内容、私が適齢期だからか最近よく考えてしまうテーマでもあります。
どちらが良いとかではないと思うので、自分の納得の行く方、後悔のない選択をしていきたいですね。

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