最初に。
今日は重そうなタイトルですみません。重くなりすぎないように書こうと思います。汗
(とはいえ、軽くはないので、苦手な方は今のうちにブラウザバック推奨です)
それかサイドバーから別の記事を見てね!!笑
では本題に入ります。
私も希死念慮を感じていた期間は結構長く、うまい付き合い方をずっと探していたので、
文章に起こして改めて良い方法を探そうという記事です。
私が希死念慮を最初に覚えたのは4~5歳くらいの頃です。
今となっては、何が原因かははっきりしませんが、そこまで至るのは複数の原因があったのだと思います。
思ったことがうまく言葉に出てこないこと。喉の奥ぐらいで詰まってしまって、言葉に出せないこと。
何を話しても否定されるという感覚。
少なくとも言えるのは、実家にいた頃、親とまともにコミュニケーションは取れていませんでした。
それを家庭外でも引きずるかのように、
当時は、というか、少なくとも20歳ごろまでは、本当に人と話すのが苦手でした。
今も得意ではないですが、生活上困ることはないレベルになり、当時よりは話せる人が増えたと思います。
今は20代後半なので、20年以上、希死念慮と付き合ってきたわけですが、
中にはうまくその気持ちを忘れられていた時期もありました。
一番ひどい時期にくらべたらかなりマシな時間も多くなりました。
うまくいったときの逃げ方のようなものを、振り返ってみたいと思います。
「希死念慮はみんなある」のか?
結論から言って、みんながみんなあるわけではないようです。
考えたこともないという人は一定数います。
だからといって、希死念慮がある人が異常かというと、そうではありません。
人によってかなり考え方が違うことも、相談先が難しい理由の一つでもありますね。。
気持ちと状況を分けて考えるのに役立つ「コラム法」と、おすすめの漫画
たとえば、否定ばかりされる環境にいるなどして、
そういう思考癖がついてしまい、
環境が変わっても「自分を一番責めているのは自分自身」になっていることが結構多いのではないでしょうか。
そんなときは、紙に書いて客観的に見ようとするだけでも違います。
ただ、ネガティブな言葉しか出てこなかったり、何を描いたら良いのかわからないことも多いと思います。
難しいという場合は、「コラム法」など使ってみると良いかもしれません。
「Shrink〜精神科医ヨワイ〜」8巻にわかりやすく事例で載っていましたが、
これは「自分の気持ち」と「実際に起きている事実」を分けて考えるのに便利なツールです。
紙に書き出すときのテンプレートのようなものです。
(8巻だけ読んでも話はわかるようになっています)
「Shrink〜精神科医ヨワイ〜」シリーズは、心の症状についてわかりやすく描いてあるので
下手な精神科に行くより症状の緩和になる可能性もあります。笑
少なくとも合わないかもしれないお医者さんに行く、というリスクはないです。
興味があれば読んでみてください。漫画なので読みやすいです。
希死念慮、どうすれば緩和される?
では、今まで試してきた方法について、一部ですが挙げていきたいと思います。
「明らかに原因となっているもの」がわかれば、そこから距離を置く。
鉄板ですが、まずは辛いことをあぶり出し、そこから逃げるのが大事です。
仕事や家庭など、居場所がない場所、苦痛を感じる場所はないですか?
一旦、今できる範囲でも構いません。距離を置いてください。
まず逃げないと判断もしづらいですよね。
そのうえで、疲れていれば休んでください。睡眠が足りてなければ、とにかく寝てください。”寝逃げ”はアリだと思います。
状況が許さないと思われるかもしれませんが、それでも休みをとってください。
元気になってから動いたほうが何倍も良いですし、また元気になれます。
仕事に逃げる。※結果:過度な仕事逃げは注意
これは正直、私の場合、生きてきた中でも圧倒的に希死念慮を忘れられていました。
世の中の流れと逆行する話ですが(苦笑)、仕事が充実している場合は、正直、時間を制限されるほうが辛かったですね。。
自分が必要とされている、という感覚は、たとえ幻想であっても素晴らしいものです。
(世の中、仕事に関してはいくらでも代わりがいる事が多いですが、必要とされていると”思い込めている”というのが大事でしたね。苦笑)
ただこれは、仕事が充実していて、なおかつ自分の体力も充実している場合に限る、ということ。
どちらかが辛くなってくると、当然仕事も辛くなってきます。
で、気づくのは、体に異変が出始めてからだったりするのですよね…。
(今思えば仕事も詰めすぎて脅迫的になっていたんだと思います。不安で…。)
なにかに夢中になるという意味では良かったのですが、何事も過度は厳禁です。
人の死というものをできるだけ鮮明に想像する
石原慎太郎さんの本を最近読んだのですが、考え方としてはそれに近いと思います。
ただ、これは、おそらく人や状況を選ぶ方法なので、慎重に使ってください。
(例えば、希死念慮の原因が、実際に周りで誰かが亡くなったのがきっかけだとやめておいたほうがいいと思います)
肉親は別として身近な仲間の訃報は、それを聞いた自分の生存を相対的に強く意識させてくれる。それは一種の人間の業であって、この世に生存している人間はいつか必ず死ぬのであり、そう知るが故に誰しも己の死は覚悟している筈だが、身近な相手の死の報せは対比として己の生を改めて覚知させてくれる。
引用元:石原慎太郎 男の業の物語 162ページ 仲間の訃報 冒頭より
できればこの章だけでも見て頂きたいですが、
この話がある程度共感できる方は、
その状況にできるだけ近い状況を想像してみてください。
具体的には、(といってもあまりここで具体的に挙げるのは控えますが)、
例えば、過去の事故事件や、とある事故物件のサイト…などが情報源になります。
1件2件ではなく、何十件も見ていると、石原慎太郎さんのような心境になっていくような気もします。
今生きている人がいて、なくなっている人がいて、っていうのを鮮明に想像できるほど、
自分が生きていることを不思議に思いますし、結局今は耐えるのがベストなのかな…とか思ったりします。
希死念慮が強すぎるときって、どうしてもその結論が出せないのです。
私の場合ですが、最近は、数ヶ月続いていた希死念慮がこれで結構楽になりました。。
まとめ
基本、辛い時は
逃げる!休む!
というのが鉄板ですので、まずはそれを試してください。
ほかは、ネットであまり見ないような方法について記述してみました。
視野を広げるためにもたくさん引き出しはあったほうが良いのですが、これは結構難しい問題です…。
一度うまく行った方法が、次うまくいくとも限らないのが難しいですが、
合う方法をできるだけたくさん見つけてください。
そして、今日を生き延びてください。
ずっと先はともかく、いちばん大事な今日を、今を乗り切ってください。
そのために、何かが参考になれば幸いです。